吉川すみの北京アナウンス日誌

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人民大会堂でアグネス・チャンさんコンサート

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北京に住んで3年と少し。
初めて、人民大会堂に足を踏み入れました。


天井が高い!

会場までのホールが広い!(舞踏会が行われそう)

コンサートですが、各席に机があるのでまるで授業を受けているかのよう。

そして、5年に一度の共産党大会「17大」が終わったばかりの会場を
コンサート用に開放してしまうなんて大胆だなと思いました。
(いくつかこれまでもコンサートなどを行っています)

会場は3階まで満員でした。関係者が多かったと聞きます。
ダブ屋さんが多く出ていたので値段を聞いてみると、200~300元とのこと。

コンサートは3分の2が歌で、3分の1がトーク。話の大部分は普通話で行われました。
巨大な羽をつけて登場したので、驚きました。
デビュー曲「ひなげしの花」を初めて最初から最後まで聞きましたが、斬新なメロディーですね。
北京の子供たちが加わって合唱なども行われました。


会場で数人のマスコミ関係の方にお会いしましたが、翌日各紙に記事が載っていました。
以下 日刊スポーツさんから一部抜粋。

歌手アグネス・チャン(52)が引退危機を乗り越え、国会議事堂にあたる人民大会堂でチャリティー公演を成功させた。←そう!52歳、3児の母です。

実施は今春決まったが、3度にわたる開催危機があった。
昨年末に腫瘍の摘出手術を受けたが、後遺症による顔面まひが春先まで残り、引退も考えた。
幸い回復したが、9月下旬予定の公演が、共産党総会前の改修工事の影響で延期に。
9月に入って今度は乳がんが判明。
ステージに立ったアグネスは「一時はダメかと思った。最高の栄誉。人生最高の舞台です」と目を潤ませた。
北京は母の故郷。帰国歌手第1号として温かい歓迎を受けた。。。。

友人あきちゃんが感動で涙を流したと話していたので、なぜと思っていたら
そんなに沢山の病気をして、乗り越えてのコンサートだったんですね。


よい経験でした。
 周りの人も沢山写真を撮っていました!

 

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コメント

ちゃらんぽろんと書くつもりでしたがうっかり変換キーを押したら「茶乱歩論」になってしまいました。これもいいですね(笑)。あのアグネス・チャンももうそんな年なのですか?私も年とるわけです(泣)。1996年1月のある晩、人民大会堂でロリン・マゼール指揮バイエルン放送管弦楽団のベートーベンの5番・7番を聞きました。会場にはあの「呂麗萍」がいて、チケットの裏にサインしてもらいました。横柄な態度でした。こっそり後をつけたらBMWの運転席に乗り込みました。私は友人が待ち受けているカラオケにタクシーで駆けつけました。人民大会堂にはその前にも入ったことがありますが、1998年北大創立100周年の式典の時にも入りました。広いですねえ。

北京在住3年とのことですが「普通語」……? いわゆる標準中国語「プゥトンホア」は「普通話」ですが……。

ちゃらんぽろんさん


コメントありがとうございます。
私は ~ぽらん と書きそうになり今ぽろんさんであることに気が付きました。失礼しました。
おぉ!何度か入ったことがあるんですね。来週もクラッシックのコンサートが行われるようですが、日本の国会議事堂では、絶対出来ないことですよね。
すごいなぁ中国 と思います。

訂正しました。
ご指摘ありがとうございました!

昨晩、テレ朝の「オーラの泉」でアグネス・チャンさんが出演していました。6人兄弟の3女で、長女は美人、二女は才女、そして自分は「一番家計が苦しい時に産んだ娘なので、こうです(あまり、頭も顔も芳しくないという意味)」(母親談)と周りに言われ続けてきたそうです。これは私の香港での生活経験ですが、アグネスの姉は歯科医で、香港で開業しています。日本人社会では有名で、さほど、腕が良いわけではないのですが。

お父さんが30年前に胆石の手術失敗で死亡。当時、アグネス本人は父親の薦め(仕事に忙殺されて自分を見失ってしまう、と父親が判断)で芸能界を引退し、カナダのトロント大学に入学して半年の時でした。ちょうど、アグネスの母親がカナダ入りしている時でしたので、父親が手術した時、お母さんはカナダに娘の世話をするために訪問していて、兄弟からは「アグネスが母を死なせた」と責められたそうです(霊視した江原啓之氏は「アグネスのせいではない。自分の子どもたちの生きる道、目鼻立ちをしっかりさせて安心して霊界に行っている。とくにアグネスがボランティア活動を行っているのは、私の一番の誇り、と話してますよ」と話すとアグネスは嗚咽した)。

人民大会堂でのコンサートで歌うアグネスの映像と共に、北京出身のお母さんの映像も流れた。母に感謝する歌を歌うアグネスとそれを毅然とした表情でみる母親。

亡くなられたお父さんは、性格が一番、アグネスに似ているという。アグネスが生まれ育った1960年代の香港は難民が押し寄せ、食べることもできない人々がたくさんいた。自分の親族も大陸から何も持たないまま逃げてきた人が大勢いて、アグネスの父親は自分の妻子よりも優先して逃げてきた親族の面倒を見たという。アグネスの母は「なぜ、子どもたちにこんなかわいそうなことをしなければならないのか」と愚痴をこぼすほどで、父親はそれでも黙って反論せず、家族との食事以外の時間は仕事ずくめの一生だったという。

アグネスは1985年、日本テレビ「愛は地球を救う」のメーン司会(徳光和夫とペア)をして、エチオピアにリポーターに行って人生観が変わったという。餓死する児童がどんどん死んでいく。それを感情的に見るのではなく、ボランティアとして「何をなすべきか、冷静に判断せよ」と日本人女性ボランティアスタッフに叱責され、本当のボランティア精神は同情だけでは成り立たないことを悟る。

本人いわく、「私はクリスチャン。かくある人生を歩むべき、という指針があるのが好き」という。尊敬する人物はマザー・テレサ。かつてマザー・テレサが来日した時、日本が飽食であることを憂い、「日本人は親、兄弟を心から愛していますか。平和は家族を愛することが第一歩」と警鐘を鳴らしている。貧しい国の方が、飢えの苦しみを分かとうとする人々の共同意識があるが、日本には、助け合い、共生する意識が欠けているというのだ。アグネスはそのことを聞いて、とても感動し、マザー・テレサの本名が同じアグネスであることにも深く感銘したという。

霊視する江原啓之氏が言うには「アグネスの前世はカトリックの修道女。自分を責めすぎる癖がある。人を救ったりするとき、結果が悪いと、自分を責め過ぎる。それが、今回のガンの遠因にもなっているので、今後、自分を責めすぎないように、と他界したお父さんが近くでそう言っています」と話していた。

人民大会堂でのコンサートを見るだけでは、分かることの出来ないアグネス・チャンの生き方の一部が紹介された面白い番組だったですよ。

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